久々に♪

筑土八幡様の桜

上杉景勝さまのお話をひとつ…。(*^-^*)
景勝さまのキャラクター・グッズは、今や日本酒から携帯ストラップまで数々あれど、最古のキャラクター・グッズとも言うべきものを発見! それは、清元の「玉兎月影勝(たまうさぎつきのかげかつ)」(歌舞伎では「団子売」)に「実(げ)に楽天漢詩に 連ねし秋の名にし負う 三五夜中の新月の中に餅つく玉兎 餅じゃござらぬ望月の 月の影勝 飛び団子♪」(内容は「かちかち山」)と謡われてる、景勝団子(景勝餅)です。(^-^)vv
何故、お菓子のお団子に景勝さまお名前が使われているかと申しますと、団子の形が景勝さまの生家の長尾家の鉾先に似ていたからとか、この団子はとても固く、景勝さまが大変堅物だったから(こっちアリそう!)とか言われていますが、享保(1716〜36)年間から明治頃まで、江戸市中をつきながら売り歩かれていたそうです。なので、越後銘菓ではありません(笑)
江戸中期の俳人・菊岡沾涼が「本朝世事談綺」の中で、「正徳元年(1711年)の夏、甲州八日市場不動尊が回向院(公式サイト)に出開帳になった折り、両国橋の東詰、松屋三右衛門という饅頭作りが初めて飛び団子を作った。最初は景勝団子と言ったが、偉い人の名前は遠慮すべきだと、地元の長たちが注意したので、のちに越後団子と名を変えた。男が臼でつくが潰れないのを、北越長尾家の鉾先に例えて付けたという。最近になって、京、大坂で流行りだし、浄瑠璃にも名を織り込んでもてはやすようになった。」と述べている(sauce:不思議草紙〜【怪しいおやぢ】の江戸奇譚+α様)そうで、享保年間の末には全国的に爆発的な人気を誇ったとか。景勝さまスゴイ!q(≧∇≦*)p何が?
「玉兎」というのは、景勝さまが兎年の生まれで幼名が「兎松」というのにも関係しているのでは?と思うんですが、それにしても、景勝さまの没後100余り、お名前を冠したお菓子が出来るなんて、いかに景勝さまが民衆に愛されていたかですよねぇ。(^-~*
享保年間といえば、中興の祖・八代将軍徳川吉宗の時代。景勝さまの米沢藩の中興の英主・上杉鷹山(Wikipedia)が師と仰いだ、熊本藩中興の祖・細川重賢(Wikipedia)もこの時代の人です。各地で名君・英主が誕生した時代に、人々が景勝さまを思い出してくれたなんて、ファンとしてはとっても嬉しいです。(´-`).。oO
最後に、先日「景勝桜(2010年11月18日)」をご紹介しましたが、今年の桜を少々…。

 

 

   

桜には、「死」というか「お弔い」や「鎮魂」のイメージが付き纏っています。西行の「願はくは〜」は有名ですけれど、私は「仏には 桜の花を奉れ わが後の世を 人とぶらはば」の方が好きです。桜には、日本人の「無常観」や「もののあわれ」といった観念が凝縮されている。神社やお寺や古戦場やお墓に桜の名所が多いのも、そのせいだと思います。今年の桜はいっそう「物の哀れ」を感じずにはいられませんでしたね。(T^T)*sobs*
今年は誰かさんのせいで自粛ムードの中、お茶とお茶菓子でお花見されてる方も多かったですが、私はもちろん、東北の日本酒で献杯しました。「弔い酒」の言葉もある通り、日本酒もお弔いには付き物ですよね。

カラオケやドンチャン騒ぎはもちろんNGだけど、ライトアップしないで昼間にやる分には、全く問題なかったと思います。簡易トイレや臨時のゴミ箱を、被災地に全部送ってしまったからという公園もあったケド、各公園にはちゃんとした公衆トイレがもともとあるし、極端な自粛はやっぱり失敗だったのでは?(¬ε¬)え?I原知事?
Sea Monkey ^_~*