秋来ぬと目にはさやかに見えねども♪

今期お初の松茸の土瓶蒸し

風の音にぞおどろかれぬる。。。やっとそんな風が吹き始めましたね。いや〜。今年は秋が遠かった〜。これでやっと「小さな木の実(ごんべ007の雑学村)」を歌いながら、秋らしいメランコリックな気分に浸れるわ〜(*^-^*) しっかしこの曲、ビゼー作のオペラの一曲で、原題は「美しいパースの娘」と言うそうだ。男性が女性を思う詩で、秋の歌でもなんでもないらしい。作詞家の海野洋司氏は偉大だなぁ。(^-^)vv
あ、先日実家の父と呑んでいた時、父が亡くなった母の実家の親戚の話をしてくれたんだが、母の旧姓は「志田」と言って、山形県湯殿山神社がある本道寺というところに本家があったという。え〜。山形の志田氏といえば、上杉二十五将(Wikipedia)の一人、志駄義秀(Wikipedia)の志田(駄)氏(Wikipedia)ぢゃないの〜???? おまけに「先祖は新田義貞」と言っていたぞ、と。志田氏の祖の志田三郎先生(Wikipedia)ぢゃないけど、新田義貞(Wikipedia)も志田氏と同じ清和源氏(Wikipedia)だ! これは、ひょっとするとひょっとするかも〜。これで、愛する上杉景勝さまとの距離がぐぐぐっと縮まったぞ〜ッ! ぢつは以前、出世頭の友人の紹介で上杉家の御当主様が主宰する日本酒の会にお呼ばれし、御当主様とお話する機会があったのだが、その時は上杉家に対する熱い想いを一方的にお話しするに留まってしまっていたのだ。これは早速、友人に報告せねば〜ッ!!!。q(≧∇≦*)p
あいや、だが待てよ。母の実家は高輪泉岳寺(公式サイト)にほど近い、御府内八十八ヶ所の札所でもある江戸幕府開府に伴なう愛宕権現社の開創で1603年に今の茨城県笠間市から愛宕山下に勧請された「愛宕下六院」の一つなんだケド、何代目の住職だかわからないが、赤穂浪士大石内蔵助が浅野家の再興のために赤穂・遠林寺の祐海和尚を江戸に派遣。その時、祐海が逗留した江戸の寺として有名なのだ。当時の住職は(たぶん高野山で)修行時代、祐海和尚と相弟子だったそうだ。上杉家と赤穂浪士の関係は、この本↓

忠臣蔵上杉家始末

忠臣蔵上杉家始末

に詳しい。当時の米沢藩主・上杉綱憲公(Wikipedia)は、赤穂浪士の敵役、吉良上野介義央の実子なんですわ。ホンマ。え〜。なんだか複雑なことになって来たぞ〜。(;^_^A)ま、いっか!
ところで昨年から、産経新聞、神奈川新聞、山陽新聞等で堺屋太一氏の「三人の二代目」(参照:niwa no niwa blog)という小説が連載されている。景勝さまはバッチリ主役の一人。しかも、長身痩躯設定! 早く単行本にならないかなぁ。ただ私なら、三人の二代目の中に、真田信之(幸)さまと前田利長さま(黒田長政さまも好きだけど、勝ち組だからダメだわネ)を加えるわ〜。景勝さまと同じく、苦労人なカンジが大好き〜。(*^-^*)
Sea Monkey ^_~*