桜

先日、従姉妹から「今、母と一緒に河津桜を観に今井浜に来ています」と手紙をもらった。で、私がガーデニングが好きなのを知っていて、銀座でやる「ターシャ・テューダー展」の招待券も同封してくれた。さり気無いけど、なんだかとっても素敵なお便りだった。(*^-^*)
私は母をパーキンソン病で早く亡くしている。父とはよく銀座や新宿や乃木坂に呑みに行くのだが、色気は皆無だ。やっぱり母娘でゆっくり旅行というのは憧れちゃうな〜。o(´^`)o

ところで、私は都内でも桜の名所と呼ばれる所に住んでいる。左が近所の桜だが、今年は暫らくやってなかったお花見会やろうかな〜。筍ご飯とか炊いて、パパ呼んでね。(^-~*
私はたいがい花ならなんでも好きだが、桜にはなんだか特別な感情が介在しているように思う。日本では若い武士や兵士の戦死を「散華」と言う。決して戦争を美化する訳ではないが、桜が散る様には、紅顔可憐な青年の覚悟の壮烈死というか、華麗な美しさの中にも儚さや悲哀が潜んでいて、例えば同じ春の木の花でも、梅や白木蓮へとはまた違った感慨がある。それだけではなく、「桜の根元には死体が埋まっている」とか、とにかく桜には「死」のイメージが付き纏うからだ。そういえば、彰義隊士が多く散った上野の古戦場も桜の名所だ…。
今年はその感慨が、一層深いような気がする。というのは、ここ一週間で東京大空襲の特別番組を続けて観たからかもしれない。言問橋の黒ずんだ欄干の礎石。私の生家は築地で聖路加病院の近くなのだが、まだ青年医師だった日野原重明先生が、「廊下や階段にも患者さんが溢れているのに、医薬品の不足から火傷に灰をかけるくらいしか治療方法がなかった」と証言しているのを聞いて、ショックを受けた。「春のうららの隅田川」が黒焦げの市民の遺体で溢れたのだ。隅田川の土手にたくさんの桜が植樹されているのは、その鎮魂の為なのかもしれない…。
う〜む。それにしてもこのカーチス・ルメイって人、憎ったらしい顔してますな。(;^_^A)<素直な感想です!
Sea Monkey ^_~*