昨日は…

昨日作ったマドラー

私の誕生日でした。そして、長崎の原爆記念日でもあります。今年こそ、北京オリンビックで(表面的には?)華やいだムードですが、物心ついた頃から自分の誕生日にはどこか暗い雰囲気が漂っているのを感じていました。それもそのはず、TVには朝からずっと平和祈念像や式典を待つ平和公園、平和式典の様子が映し出されていたからです。
私が生まれたのは11時06分。長崎の原爆投下時間は11時02分。私はたぶんですが、「長崎の鐘」が鳴り響き、皆さんが黙祷を捧げてる最中にこの世に生まれ落ちて来たのです。だからかもしれませんが、かなり幼少の頃から常にメメント・モリ(死を思え)しながら生きて来たように思います。多くの人の死の上に、自分の生が成り立っているのだと、朧気ながら理解というか意識していたのです。
だから私は、憎しみや怒り、ましてや報復でなくではなく、何もかも静かに許して受け入れることで平和を訴えた永井隆博士(参照:己の如く人を愛したひと〜永井 隆〜Wikipedia)を尊敬しています。博士の執筆した随筆「長崎の鐘」(長崎の鐘 (アルバ文庫))は1950年に映画化され、主題歌は藤山一郎さんが歌って大ヒットしました。

            こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ
            うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
            なぐさめはげまし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る

「悲しいほど晴れた青空」は、私がいつも誕生日に感じる心境そのものです。お目出度いはずの誕生日。そして楽しいはずの夏休み。だけど手放しで喜んじゃいけないみたいな…。生まれ生まれて生の始めに暗く…。弘法大師空海の言葉ですが、生きるってことは元々悲しいことなんですよね。だから絶対に、神様や仏様がいいというまで、人は死んではいけません。もっと生きたいと切望しながら、死んで行った人達がたくさんいるんですからね!o(>_<)o
今、この映画をリメイクするとすれば、私は是非、永井博士の役を石黒賢さんに演って欲しいのです。風貌的には江口洋介さんもいいと思いますが、高校時代バスケの選手だった永井博士にはスポーツマンの石黒さんが合ってると思うし、何より病魔に侵されながら使命全うする石川先生を彷彿とさせる優しい目をした医師ということで、本っ気でピッタリだと思うのです。(*^-^*)

な〜んと昨日の朝曰新聞に石黒さんの記事を見付けました! 内容は北京五輪に出場する錦織選手の事でしたケド、ほら〜、これはもう運命ぢゃぁないですかッ!<あほ
演って欲しい役には、「雪は空からの手紙である」と仰った、ロマンチストな科学者・中谷宇吉郎博士(中谷宇吉郎雪の科学館ホームページWikipedia)とかもいます(舞台はご縁のある北海道だし!)ケド、まずは絶対、永井隆博士! 是非是非、お願いしたいですッ!q(≧∇≦*)p
あと、映像化するとすれば関わって頂きたい人物に、終戦後、爆心地を撮影したアメリ海兵隊従軍カメラマンのジョー・オダネル氏(NHKスペシャル|解かれた封印〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI〜「誇り」とは何か亡骸を背負う少年)がいます。この方が亡くなったのは、なんと昨年の8月9日…。彼は探し続けていたあの「焼き場に立つ少年」に会えたでしょうか? それとも、血が滲むほど唇を噛み締めて哀しみを堪えていたあの少年は、今でも日本のどこかにいるのでしょうか? 戦中&戦後の日本人には、こんな小さな少年にさえ涙を見せまいとする「誇り」があった。

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

今、五輪開催中だからという訳ではないですが、驕らない偏らない健全なナショナリズムは、やはり今の日本人には必要だと思います。少なくとも私は、こうした誇り高い先人たちを見詰め直すことで、少しだけ日本人としての誇りを取り戻せたような気がしました。夏にお軽い上に暑苦しいドラマを放送するなら、各局共、もう少しマシな内容にして欲しいものです。(¬ε¬)マジで!
Sea Monkey ^_~*
P.S.
蛇足ながら自分の誕生日絡みでもう一つ付け加えさせてもらうと、8月9日に亡くなった有名人に、我らが腐女子の金字塔「車輪の下」を書いたヘルマン・ヘッセがいます。