鯨土鈴

青海島の鯨土鈴

先日、山口県長門市青海島通の胎児鯨土鈴→について書いたが、調べて行く内に、この日本には、捕鯨国らしく様々な鯨の民芸品が存在することを知った。
青海島の土鈴に最も近いのは、


和歌山県東牟婁郡太地町の背美鯨児持土鈴だろう。背美鯨は母性愛が強く、特に児持ちの時は児を思う一念から外敵に対し凶暴になる為、古来、鯨漁師の間では「児持ちには手を出すな」と言い伝えられており、その姿を模して安産・子育てのお守りとして作られた土鈴だそうだ。

古式捕鯨発祥の地というだけあって、太地町には抱壷庵という鯨を専門に扱う民芸工房があり、土鈴の他に貯金箱や箸置きなど種類も豊富だ。尚、鯨の頭部にある三つ巴紋は、太地鯨方の宗家・和田家の紋所だという。また、鯨に関する伝承も多く、右下の「めおとくじら」には、「ある鯨の群れが飢饉にみまわれた時、たまたまその年生まれた雌の白鯨のせいだとされて、長老から群れを追い出された。可哀想に思った雄の若鯨が自分も群れを抜けて、その白鯨と夫婦になり、後には数百頭の群れの王者になって、南北の海に君臨した」という昔話があるそうだ。

太地町の次に多いのは、「龍馬伝」で盛り上がる↑土佐(高知県)だろう。太地の様にほのぼのしたのは少ないが、独特の可愛らしさがある土鈴だ。

その他、↑左上から広島県廿日市市(宮島)の鯨蛸土鈴、三重県四日市市諏訪神社の例祭の鯨山車を模した土鈴、和歌山県南紀白浜の鯨土鈴、山口県長門市の青海島とはまた違った土鈴などがある。また、土鈴以外にも玩具として、張り子や木作りの鯨車や、華麗な鯨舟を模した民芸品も各地で作られている。

↑左上から、和歌山の鯨車、長崎くんち(長崎市諏訪神社の秋の大祭)の傘鉾(鯨の潮吹き)を模した鯨車(切手の図案にもなっている)、下段は両方とも土佐の鯨車。

↑左上から、土佐の鯨舟土鈴、太地の鯨舟土鈴、三重県四日市市諏訪神社の例祭・四日市祭の鯨船山車を模した土鈴。右下の鯨舟の模型は、上段が太地、下段が土佐のもの。
あれ? でもなんで長崎も四日市諏訪神社なんだろう? 諏訪神社は長野県の諏訪大社を総本社とし、大国主命の三男?の建御名方神を祀る神社だ。武神として名高い建御名方神は、もともと出雲のお生まれだし、移り住んだ諏訪湖も昔は洲羽海と呼ばれ、風神&水神でもあるので「海」に関係ないとは言えないが、遠く離れた長崎と三重(全国に約5000社も分社があるそうだ)で、鯨船の山車を出すのが同じ諏訪神社というのはちょっと面白い。
話はそれたが、「勇魚」と呼ばれた鯨は、海洋国日本の「獲物」の中でも特に畏敬の念を持って扱われ、どれだけ日本人の心や生活に浸透していたのかと、改めて思い知った。以前、大阪(梅田)のおでん屋さんで、鯨の尾身とかコロとかサエズリとかの珍しい部位を頂いたことがあるが、そんな身体の隅々まで有難く恭しく頂いているのに、調査捕鯨までもがなくなってしまったら、そんな小さな伝統の味覚を味わう機会さえ奪われてしまう。文楽人形は、その顔の表情(眉や目)の繊細な動きを支える、代替品のない(色々試したそうだ)操作盤のバネを失ってしまう。カラクリ人形はその動力であるゼンマイを失う。
大体、日本人が何を食べようが、我々の勝手ではないか? 欧米人は未だに日本を占領国扱いにし、自分達の価値観だけを振りかざすつもりか? ハッキリ申し上げて余計&大きなお世話である。(¬ε¬)
Sea Monkey ^_~*