景勝桜

夜桜

愛する上杉景勝さまの縁の地を調べていて、黒部市景勝桜(参照:富山県歴史観光案内所景勝桜復活プロジェクト)ってのがあるのを知った。残念ながら、景勝さまが嘆賞した黒部市指定天然記念物にも指定されていた初代の桜は昭和49年頃に枯れてしまい、今は三代目でしかも元気がない(sauce:頑張れ景勝桜|ぎゃらりー市姫)らしい。心配だ〜! だけど、前に京都の伏見に「景勝町」や「景勝橋」があるのをご紹介したが、っていうのは、武将らしくてなんかすごくいいネ。(*^-^*)すてち〜♪
しかも、落城目前の魚津城を救援しに行く途中。あの、清々しいまでの死への覚悟を語った佐竹義重への書簡を書いた直後だ。景勝さま、当時28歳…。戦国武将の手紙を読む―乱世に生きた武将の鮮烈な心状 (角川選書)にも、

にも取り上げられているが、特に後者の著者・吉本健二氏は、「正面から滅亡を見据えた上で、『景勝は良い時代に生まれたものです』と語り、もし生き残れれば『日本無双の英雄となれる』と喜んでいるあたり、尋常な男ではない。さすがに軍神・上杉謙信の衣鉢を受け継いだだけのことはある」、「勝利の女神は景勝の若武者振りを愛でたようだ。本能寺の変のおかげで、上杉家は全滅を回避できたのである」と述べられている。q(≧∇≦*)p
この書簡が書かれたのは旧暦の5月1日、魚津城落城は6月3日…。この書簡の冒頭に「ずっと籠城しておりましたゆえ」と無沙汰を詫びているので、景勝さまがこの桜を見たのは旧暦5月の中旬(今の6月下旬)として、伝承のように満開の桜を咲かせていたかどうかは疑問だが、死を覚悟した若武者が、真っ直ぐな目で新緑の生い茂る「花のあと」の桜の巨木を見上げる図。。。絵にでもしたいような、いい構図でなないか〜ッ! 景勝さまを描いた絵といったら、有名な上杉神社蔵や米沢市上杉博物館蔵の上杉景勝像や本朝廿四孝の役者絵の他は、二世・五姓田芳柳の「上杉景勝一笑図(笠間日動美術館蔵)」しか知らないが、この構図で誰か描いててくれないかな〜。(¬ε¬)
北越耆談に「景勝、小男なれども、何様にも顔、魂、何百人の中にも無類の大将なり」と評された景勝さま。小兵だけど眉目秀麗ってことでしょうかね? 岳宏一郎氏も
群雲、関ヶ原へ〈上〉 (新潮文庫)

群雲、関ヶ原へ〈上〉 (新潮文庫)

の中で、将卒を死地に追いやる君主の非情さを憶わせる青いこめかみをして、ほっそりしたまるで少年のような華奢な体躯の持ち主として景勝さまを描いています。う〜ん。どんな容姿の人だったんだろ〜!o(*≧□≦)o知りたい〜!
こ〜んなアタシみたいなコアなファンは私くらいだろうとお思いでしょうが、世の中にはマニアックに景勝さまを愛する人々も結構いる(参照:世界の中心で景勝と叫ぶ会様、カゲカツィストの会様)んですよ〜! 蒸し返すようですが、この際、あの忌々しい大河ドラマ天地人」の木偶の坊&ヘタレな景勝像は、世の中から完全に拭い去って欲しいです!o(>_<)o
あぁぁああ。堺屋太一氏の「三人の二代目」、ドラマ化されないかなぁ。今度こそ、いい原作&脚本でネ。(^-~*
Sea Monkey ^_~*