長崎の鐘♪

サツマイモでグリーンカーテン

「こよなく晴れた青空を、悲しと思うせつなさよ。うねりの波の人の世に、はかなく生きる野の花よ。なぐさめ、はげまし、長崎の、ぁああ長崎の鐘が鳴るぅぅ♪」。。。今年の長崎の鐘は、一味も二味も違う響きで鳴り渡りましたね…。昨日は私の誕生日でした。そして、今日は速水もこみちさんのお誕生日です。「この世界の片隅に(公式ページ)」の丸刈り@哲さん良かったですぅ。獅子座だったんだぁ。(*^-^*)お目出度う!
今日の一枚は、里芋に続いて芽が出たさつま芋を植えたらグングン伸びたので、支柱を立ててグリーンカーテンっぽくしてみたところです。流石は青木昆陽・甘藷先生が享保の大飢饉の救荒作物として関東で普及させたという薩摩芋。。。生命力が本当スゴイです。(;^_^A)毎日10cmは伸びてる?
ところで、以前(2011-01-19)、1983年の大河ドラマ徳川家康」に出て来た我らが上杉景勝さまの花押が違う!っと書いてしまいましたが、その後の研究?で、五大老当時の花押はあれで良かったことが判明しました。「景」の字が多少違いますが、チラッと映るだけにしては、細部までよく出来ています。天下のNHK様、誠に申し訳有りませんでした。(>人<)すみません!

  

左:「徳川家康」に出て来た花押  右:景勝さま40代の花押

左から12歳「顕景」時代の花押、24歳の時の花押、26歳の時の花押です。謙信公から頂いた手習いの手本で一生懸命練習したんでしょう、12歳で既に達筆ですねぇ。このように、生まれて初めての花押は下に「丸み」がありました。

  

どうやら、下に丸みを帯びず真っ直ぐに引く花押は、御館様になった24歳頃から家臣宛ての書状に使われ始め、すっかり偉くなられた30代からは、目下の者宛て用の真っ直ぐ引く花押に移行されたようですネ。(;^_^A)

左から32歳の時の花押、40歳の時の花押、一番右は50代の頃、江戸表の息子・定勝宛てに書かれた書状の花押です。幼少の息子に「手習いの腕が上がった」と褒めています。(*^-^*)
Sea Monkey ^_~*